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クラブの歴史
HISTORY

クラブのあゆみ

ACミドルレンジは2001年のチーム設立から毎週コンスタントに活動を続け、設立20周年が迫ってきました。
クラブの歴史の中では、設立から現在に至るまでの間に数多の出来事があり、今日に至っています。
このページでは、クラブの成り立ちや転機となった出来事などを、当時の貴重な写真とともにご紹介いたします。

2001 ~ 2004

ACミドルレンジは2001年10月18日に産声を上げました。現在もクラブ代表を務める藤田が発起人となりメンバーを集めてチームを立ち上げました。藤田はサッカーの指導者になりたいという目標を持って 大阪体育大学に進学したものの、普通の公立高校のサッカー部出身で、大学サッカー部とのギャップに戸惑うことばかり。
しかし、意識・実力ともにハイレベルな大学サッカー部に刺激を受け、「もっと高校のときに頑張れなかったのか?」と後悔の念が込み上げてきました。当時の大学サッカー界は現在のIリーグなどもなく、150名余りの 部員の中でトップチームは30名程度。それ以外の選手は日本サッカー協会に登録されることもなく、練習試合さえほとんどないのが当たり前でした。
少しずつ大学サッカーに慣れてきた秋頃、「試合がなければ自分で組めばええやん!」という実にパワープレーな発想でチームの立ち上げを決意。自身の中学校・高校の友人をベースに「もっぺん真剣にサッカーやってみようや!」 と持ちかけ、18名のメンバーでACミドルレンジを設立しました。ちなみに、チーム名の発案者は初期メンバーであり現在クラシック(サードチーム)の代表を務める谷本氏。 初期メンバーでチーム名を公募して決めました。名付け親である谷本氏に由来を聞いたところ、「何となく」という非常にアバウトな答えが返ってきました。

2001

苦しみながらも毎年カテゴリーを上げる

2001年の秋にチームを設立し、翌2002年には大阪府社会人サッカーリーグに加盟。5部リーグからのスタートを、毎年優勝し1つずつカテゴリーを上げていきました。2003年には4部で優勝し3部へ、2004年は 3部で優勝を飾り2部へ昇格を決めました。トントン拍子にカテゴリーを上げていった中で、日々身を置く大学サッカー部とのギャップに苦しむことも少なくなく、真面目に必死にチームを強くしていきたかった中で コンセプトに合わず退団した選手も少なからず見受けられました。ちなみに最初のユニフォームはアンブロ社製の白。当時のイングランド代表モデルでした。理由はベッカムが大好きだったからです。
この写真は4部で優勝したときの写真。会場は武田薬品工業さんの十三グランドです。

2001年

2004

ついに2部へ到達、'82年組にとって学生最後の年に

少しずつカテゴリーを上げて2004部は3部リーグを戦うことになりました。この年は立ち上げの中心世代であった1982年生まれ組が大学4年生になり、学生最後の年に。 リーグ戦では苦戦しつつも要所をきっちり締めて2部昇格を決めました。翌年からは社会人として働きながら2部リーグを戦うことになり、本当の意味での「社会人サッカー」のスタートを迎えることになります。
この頃のユニフォームはアディダス製の青。フランス代表モデルですが、東京のサッカー用品ショップ「B&D」さんの通信販売で格安購入。当時で1着1,980円+マーク代でした。 しかし長袖しか在庫がなく真夏の酷暑期でも全員長袖でプレーするという今では考えられない暴挙でした。

2004年

2005 ~ 2008

代表・藤田を含む主力年代が社会人となった2005年から2008年までを第二期と定義しています。 この頃は各々の生活環境が大幅に変わる中で、仕事・サッカー・その他のプライベートとそれぞれのバランスを見出すのに苦慮した時代であると認識しています。 大学生が同級生を集めて社会人サッカーリーグに参入するケースは今以上にたくさんありましたが、多くはこの時期を乗り越えられずに消滅していきました。 チームとして今も存続できているのは、この時期をどうにか乗り切ったことが大きかったのではないかと思います。 ちなみに藤田はサッカーの指導者を志して大学を選んだものの、4年間の大学生活で出した結論は「もうちょっと自分のチームでサッカーしたいから一般企業で働く。しかも大阪勤務のところ。」でした。 縁あって学生時代からアルバイトをしていた会社の社員になりましたが、苛烈な営業マン人生がスタート。奇しくもこの会社員生活が現在のチーム運営にも大いに反映されています。

2005

社会人になって最初の公式戦

'82年組が社会人になった2005年は大阪府社会人リーグ2部を戦う最初の年でもありました。この年の最初の公式戦は4月に行われた全国クラブチームサッカー選手権大阪府予選(現:大阪社会人カップ)。 当時1部の吹田ジョカトーレ千里FCさんと対戦し、見事に先制ゴールを挙げ、さらにリードを広げる追加点で2-0のリード。このまま初の金星をというタイミングで飛び出した代表・藤田の豪快な左足でのオウンゴール。 これをきっかけに2-3の逆転で敗戦を喫してしまいました。後にも先にもこの試合以上に悔しいゲームはなかなかありませんでした。

2005年

2006

関西国際大学さんと初対戦

現在もとてもお世話になっている関西国際大学さんとの初対戦は意外にもかなり古く、2006年まで遡ります。 当時とは関西国際大学さんの運営体制も全く違うのですが、この試合のマッチメイクのきっかけは、代表・藤田が職場の上司に連れていってもらった豊中の寿司屋さんで関西国際大学さんの当時の監督さんと隣の席になったことでした。
意気込んで試合に臨んだものの、全く歯が立たず0-8の大敗。中には徹夜で飲酒してから試合に臨む選手もいたりと頭の痛いゲームになりました。 せっかく得たPKのチャンスもフルスイングした結果、見事にGK正面で止められてしまいました。 当時の2NDユニフォームはアディダス社製のグレー。胸に筆記体で「ACMR」と入るノスタルジックなものでした。

2006年

2008

チーム史上初の泊りがけ紅白戦を実施

より真剣に、真摯にサッカーに取り組もうと意識改革がはじまったタイミングがこの2008年でした。チームカラーも青から赤に変わり、ユニフォームも一新。その取り組みの一貫として泊まりがけでの紅白戦を実施しました。 会場は兵庫県のアスコザパーク丹波さん。前泊にはじまり翌日の紅白戦まで非常にテンションの高い活動になったことを今でも記憶しています。このあたりからチームの意識が大きく変わり、後のチームの礎となっていきます。

2008年

2009 ~ 2015

'82年組が仕事に慣れ、より真剣に真摯にサッカーに取り組もうと一念発起し体制を再構築しはじめたのがこのタイミングでした。 特にピッチ外での振る舞いや規律の徹底に腐心したのがこの頃の特徴で、代表・藤田が職場で叩き込まれた体育会系な考え方を社会人サッカーチームの運営にフュージョンさせて植えつけていきました。 チームの内部構造としては2013年からセカンドチームとなる「クラシック」を設立。 単体の「チーム」ではなく、複数チームを保有する「クラブ」へと変貌を遂げていきます。

2009

社会人リーグ2部初制覇も順位決定戦に阻まれ・・・

設立・加盟から毎年カテゴリーを上げてきたものの、2部リーグではしばらくの足止めを食らうことになりました。 5シーズン目となった2009年、ようやく2部リーグを初制覇。序盤に勝ち点を落とす試合が頻発したものの、他チームの勝敗が希望通りに進み、かなり可能性の低いところからではあったものの優勝することができました。 しかし、当時は1部へ昇格するためには2部で優勝した4ブロックの代表チームによる順位決定戦が行われており、この決定戦で4チーム中2位に入らなければなりませんでした。 結果は惜しくも3位で、入れ替え戦に回ることになりましたが、この試合でもエルマーノ大阪さんに敗戦。翌年以降も2部を舞台に戦うことになりました。 ちなみに順位決定戦の初戦でGKが退場。控えGK不在のため、代表・藤田がGKを務めました。

2009年

2010

社会人選手権で準優勝

入れ替え戦では残念ながら敗戦となったものの、直後の社会人選手権では2部所属チームとしては異例の快進撃を見せ準優勝を勝ち取りました。決勝での対戦チームは当時まだ大阪府1部に在籍されていたFC大阪さん。 圧倒的に押し込まれながらも要所でカウンターでチャンスを作りましたがお互いに決め手を欠きスコアレスのまま後半ロスタイムへ。最後のワンプレー、FKからヘディングシュートを叩き込まれ準優勝となりました。 ちなみに準優勝チームにも全国社会人選手権関西予選の出場権が与えられ、7月に出場しましたが、対戦チームは当時全盛期を迎えていた三洋電機洲本さん。初の府外チームとの公式戦は2-8での敗戦となりました。

2010年

2011

IRVさん来阪・初応援

地域リーグ界隈ではとても有名な岩手レボリューション(IRV)さんが来阪されました。応援されている盛岡ゼブラに所属していた選手が転勤で弊クラブに移籍してきたことがきっかけで大阪まで応援に来ていただきました。 その世界では知る人ぞ知る「向かい風チャント」をミドルレンジ版に差し替えて熱唱、J-GREEN堺に歌声がこだましました。この試合での対戦チームは吹田ジョカトーレ千里FCさん。
「吹田には負けれない〜闘志込めて戦え〜向かい風に立ち向かえ〜ミドルレンジ〜♪」試合は惜しくも0-1の敗戦となりましたが、ご声援ありがとうございました。

2011年

2013

生涯スポーツカテゴリー「クラシック」設立

長らく競技としてサッカーに取り組んできた弊チーム、多くの選手が30代に差し掛かりつつある中で、競技としてプレーすることが難しくなってきた選手の受け皿として、生涯スポーツとしてサッカーに取り組む新カテゴリー「クラシック」を設立。 トップチームと2チーム体制となり、「チーム」から「クラブ」へと発展していくことになります。クラシックは運営者不在となる時期があり、2015年の活動停止期間を経て現在はサードチームとして安定的に活動しています。

2013年

2015

念願の1部リーグ昇格

2部リーグで戦いはじめて実に10年目、悲願の1部昇格を決めることができました。2009年当時のような順位決定戦はこの当時には撤廃されており、2部で優勝したチームは無条件で1部昇格というレギュレーションが設定されていました。 勝ったチームが優勝という枚方FCユナイテッドさんとの最終戦は白熱した好ゲームになりましたが、見事に2ゴールを挙げて2-0の勝利を飾り、設立からの目標であった1部リーグへの参戦を決めることができました。

2015年

2016 ~

2016年からは設立当時からの目標であった大阪府社会人サッカーリーグ1部に参戦。より強力な対戦チームと鎬を削る日々がスタートしました。 社会人リーグの競技性は毎年高まっており、少しでも取り組みが甘くなったチームは淘汰される傾向が顕著になっています。また、この年から競技性を求めた新チーム「セカンド」を設立。3チームを擁するクラブに進化していきます。 2017年からは長年ユニフォームを使用していたアディダスからニューバランスにサプライヤーを変更しています。

2016

初参戦の社会人リーグ1部は苦戦続きもどうにか残留

序盤は予想以上に勝ち点を稼ぐことができ上位進出も夢ではないポジションにいた1部リーグでしたが、夏場の酷暑や対戦チームからのスカウティングもあり徐々に失速。残り3試合で降格圏に位置することになりました。 しかし新戦力を加えたこともあり、最後の2試合は執念で連勝して12位フィニッシュ。本来は残留圏の順位ではあったのですが、関西リーグからの降格チームがあった影響で12位チームも2部降格対象に。 残留するためには大阪府1位・2位チームのいずれかが関西リーグに昇格することが必要でしたが、関大クラブ2010さんが関西府県サッカーリーグを勝ち抜き関西リーグに昇格、苦労しましたが大阪府1部に残留することができました。 関大クラブさんの応援のために毎週カツ丼食べて「カツで勝つ!」と呪文のように唱えながら応援に行ったことをよく覚えています。

2016年

2017

大阪府1部リーグで初優勝を飾る

多くの新戦力を迎えて臨んだ2017シーズンは開幕から勝ち星を重ね続け、12勝2分1敗で1部リーグ初優勝を飾ることができました。リーグ最少失点で安定した戦いができたことが最大の要因でした。 しかしながら関西リーグ昇格を目指して臨んだ関西府県サッカーリーグ決勝大会では経験不足を露呈してしまいグループリーグ敗退。次なる目標である関西リーグへの参入は翌年以降のチャレンジに持ち越すこととなりました。
この年からパートナーとなる企業・店舗様を募りプラクティスシャツを制作することをスタート。同様の取り組みでパートナーを募るチームもみうけられるようになりました。

2017年

2019

運営母体となる一般社団法人を設立

純然たる趣味のクラブチームであった組織を、より安定した運営基盤を構築し、社会人サッカーのステータスを向上させるためクラブを一般社団法人化。 社会人チームの一般的なネガティブイメージといえば「プレーが荒い」「取り組みがいい加減」「ハーフタイムにタバコ吸ってる」などがありますが、高校生・大学生との交流試合を通じて社会人サッカー界の裾野を広げる意味でもこうったものを払拭していく必要があると考えています。 今後の社会人サッカー界の発展のためにも重要な役割を担っていくという自負とともにより運営基盤を強化していきたいと思います。

2019年

クラブ年表

年度 クラブ全体
トップ
セカンド
クラシック
2019 一般社団法人化
2018 大阪社会人リーグ6部 / 2部残留
大阪社会人カップ / 1回戦敗退
大阪社会人選手権 / ベスト8
大阪社会人カップ / 1回戦敗退
大阪府社会人リーグ2部 / 10位 (3部降格)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
八尾市社会人リーグ / 優勝
2017 サプライヤーをニューバランスに変更 大阪社会人リーグ1部 / 優勝
関西府県サッカーリーグ / グループリーグ敗退 (1部残留)
大阪社会人カップ / 3回戦敗退
大阪社会人選手権 / ベスト8
大阪社会人リーグ2部 / 7位 (2部残留)
大阪社会人カップ / 2回戦敗退
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
八尾市社会人リーグ / 優勝
2016 セカンドチーム設立 大阪社会人リーグ1部 / 12位 (1部残留)
大阪社会人選手権 / 決勝トーナメント1回戦敗退
大阪社会人カップ / 2回戦敗退
大阪府サッカー協会に新規加盟
大阪社会人リーグ3部 / 優勝 (2部昇格)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
大阪社会人カップ / 1回戦敗退
八尾市社会人リーグ / 7位
2015 大阪社会人リーグ2部 / 優勝 (1部昇格)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
大阪社会人カップ / 1回戦敗退
2014   大阪社会人リーグ2部 / 4位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / 決勝トーナメント1回戦敗退
大阪社会人カップ / 3回戦敗退
2013 クラシック設立 大阪社会人リーグ2部 / 2位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
大阪社会人カップ / 1回戦敗退
2012 大阪社会人リーグ2部 / 3位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
大阪社会人カップ 2回戦敗退
2011 大阪社会人リーグ2部 / 2位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
大阪社会人カップ / 3回戦敗退
2010   大阪社会人リーグ2部 / 2位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / 決勝トーナメント1回戦敗退
クラブチーム選手権 / 3回戦敗退
全国社会人サッカー選手権関西予選に大阪府代表として初出場 / 1回戦敗退
2009 大阪社会人リーグ2部 / 優勝
大阪社会人リーグ2部順位決定戦 / 3位
大阪社会人リーグ1部・2部入替戦 / 0-3で敗戦 (2部残留)
大阪社会人選手権 / 準優勝
大阪・岡山対抗戦に大阪府代表として初出場
クラブチーム選手権 / 1回戦敗退
2008 チームカラーを赤に変更 大阪社会人リーグ2部 / 6位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / グループリーグ敗退
クラブチーム選手権 / ベスト8
2007 大阪社会人リーグ2部 / 4位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / 決勝トーナメント1回戦敗退
2006 大阪社会人リーグ2部 / 4位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / 1回戦敗退
クラブチーム選手権 / 3回戦敗退
2005 大阪社会人リーグ2部 / 4位 (2部残留)
大阪社会人選手権 / ベスト8
クラブチーム選手権 / 1回戦敗退
2004   大阪社会人リーグ3部 / 優勝 (2部昇格)
Aクラストーナメント / 2回戦敗退
2003 大阪社会人リーグ4部 / 優勝 (3部昇格)
大阪社会人選手権 / 2回戦敗退
Bクラストーナメント / 準優勝
2002   大阪社会人リーグ5部 / 優勝 (4部昇格)
大阪府サッカー協会に新規加盟
2001 チーム発足 初の対外試合を実施