[セカンド] 柳田俊介選手 退団のお知らせ
2024.09.13
新着情報
ACミドルレンジ・セカンドでは、柳田俊介選手が退団することになりましたのでお知らせいたします。
《選手名》
柳田 俊介 (やなぎた・しゅんすけ)
《ポジション》
MF
《生年月日》
1982年 11月 17日 (41歳)
《背番号》
26
《出身地》
兵庫県尼崎市
《所属チーム歴》
北陽高校 (’98-’00)
桃山学院大学 (’01-’04)
ACミドルレンジ (’05-’22)
ACミドルレンジ・セカンド (’23- )
《柳田選手について》
ついにこの日が来てしまったか、というのが率直な感想です。
チームを長く支えてくれた柳田選手が退団することになりました。
大学を卒業した2005年から実に19年7ヶ月、チームのために多大なる貢献をしてくれた名実ともに誰もが認めるスーパーレジェンドでした。
幼少期から名プレーヤーとして鳴らした柳田選手は桃山学院大学でも1回生時から主力選手として活躍を続け、最高学年になった2004年には副キャプテンとしてインカレで準優勝を果たしました。そんな柳田選手が入団した2005年、ACミドルレンジは大阪3部から2部に昇格したところ。チームのカテゴリーには不相応な突出した実績と実力を持った柳田選手の入団に戸惑いを隠せなかったことを今でも記憶しています。
それから19年の時が流れ現在に至りますが、彼がチームで残してくれた足跡は誰もが認めるものでした。チームが苦しいとき、行き詰まったときに支えてくれたのはいつも彼でした。そんな彼の真摯な人柄やサッカーへの情熱に触発されたチームメイトも多かったのではないかと思います。
これまでチームに関わった多くの人に惜しまれながらの退団となりましたが、次はぜひシニアカテゴリーで彼ならではのテクニックと力強いプレーを披露してもらいたいと思います。
長い間、本当にありがとうございました。これからもチームを見守ってください。
最後にトップチームに所属した2022年のリーグ戦での勇姿。
ニューバランス時代の姿。26番はいつしか彼のトレードマークになりました。
2014年当時のアディダスのユニフォーム。
2009年のユニフォーム姿。チームで初めて紅白戦をしたときの一枚。
入団当時は土のグランドは当たり前でした。淀川河川敷より。
初めてチーム活動に参加してくれた2005年1月の一枚。
「南紀の熊河童」こと大久保博之氏との飲み会での一枚。
2010年、びわこ成蹊スポーツ大学にて。
チームで初めて作ったジャージでの一枚。
彼のテクニックと戦術眼はチームでは突出したものがありました。
2010年の全社関西予選での一枚。関西の強豪相手にも十分通用していました。
2010年の社会人リーグでの一枚。
降格を危惧していた2008年リーグ戦での最終戦。残留を決定づけるゴールに歓喜の様子。
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